イタリア感傷旅

《Pilocida ナポリ(プローチダ島)》30号・水彩 鍋島正一
《Pilocida ナポリ(プローチダ島)》30号・水彩 鍋島正一

地政学で半島国家は、大陸と海からのランドパワー、シーパワー両方から侵略の危機に晒され、混沌の歴史を歩むと言われています。アペニン半島(イタリア半島の古い呼称)もトロイの勇者アイネイス、その子孫ロムルスのローマ帝国建国と繁栄滅亡の後、悲劇の宿命を背負い続けましたね。アイネイスの冒険譚は、ヘンリー パーセルのオペラで美しく描かれてます。(Dido and Aeneas. Z 626  YouTubeで視聴できます)

 ところで、Netflix ドラマシリーズで今やっている『山猫』イタリアの巨匠ビスコンティ監督作品のリメイクですが、ガリバルディのイタリア統一時代をシチリアのサリーナ公爵を通して描いた歴史スペクタクルで、華麗な映像、豪華な舞踏会。ニーノ・ロータの音楽と相まって素敵な作品です。昔フィレンツェの映画館でワイドスコープで見ましたが、映像の構図の多くが19世紀半ば、イタリア印象派とも言えるマッキャイオーリ派の作品から採られているの知った時は驚きでした。ファットーリ、シニョリーニといった画家たちが同時代をまるで、ドキュメンタリー映像のように素速いタッチで生々しい現場を写していて、そのまま絵コンテになったのでしょう。明治の最初に日本に教えに来たフォンタネージもその流れの一人で、ピティー美術館で見た作品は立派でした。

 ビスコンティは主役にハリウッドのバート・ランカスターを起用し、疑問と驚きの声があがったと聞きますが、プーリア州やシチリア島などの支配層はバイキングの子孫で、金髪碧眼の偉丈夫だったので彼はピッタリでした。

17世紀地中海交易で栄えた夜警都市ナポリは政治経済の多くをスペイン人に抑えられて、現代にも通じる不条理で抑圧された社会だったのでしょう。闇社会の発達も理解できるものです。

絵画、音楽では更に酷く、その後のイタリア人の優位性を考えると驚きです。バチカンをはじめ教会でのミサの演奏は男性に限られていて,特に高音のファルセット(裏声)を操る怪しいスペイン人達が名声を独占していました。これを覆すべく辿り着いたのが去勢された歌手 カストラート。声変わりする前の少年を去勢する悪魔的発想もさることながら、当時外科手術は床屋で行われていました。家畜や宦官じゃあるまいし、この危険で僅かな可能性に賭ける暗い情熱は驚きです。楽器はリュートと同じくイスラムの模倣からスペイン由来のビオラダガンバ属を一掃させたのが、クレモナの職人アマティーと弟子ストラディバリ ガルネリなどによる新楽器バイオリン属でした。

絵画は、イコン(ラテン語ではイメージ)を描くことはギリシャ人に限られていました。仏画のような手本を独占し、限られた有資格者のみが、イコン(手によって描かざりしの意)を制作できる。これこそimmagine 〔絵画)なのだ!とい言うのです。欺瞞とペテンは時代を超えてます。そこで逆転の起死回生として生まれたのがリナッシメント〔ルネッサンス)だったと私は思っています。手本は自然であるべきで、聖母もキリストも人の姿、山も木も在りのままを描く。ムジェッロの深い森の中、白馬に跨った巨匠チマブエが、羊飼いの少年ジョットと出会う、岩に描く羊のスケッチに才能を見出し、つれ立ってフィレンツェに行く、ルネッサンスの出発に相応しい伝説です。絵画表現の自由は言葉の表現にまで広がって行く、ペトラルカは山岳と谷の間に、色彩の調和をゼフィルスの西風の到来に乗せて歌っています。危険に満ちた都市の外、風景を愛でる為だけに出かける酔狂な人は中世ではいなかったでしょう。ペトラルカのソネットをテキストにして、モンテベルディはマドリガルを残しています。中世の厳格なポリフォニー(多声音楽)から新音楽モノフォニーへと表現の自由を獲得した音楽は、その後の大衆娯楽の殿堂オペラを生み出し現代に繋がっています。ベルディやプッチーニも微笑んでいるようです。つらつら思い巡らすまま旅ははまだまだ続きます。  

           

鍋島正一